物理学者でない自分は
実験→実証
の工程を行えないので、
もっぱら「思考実験」だけをしては、ムフフとなってるのです。
●いま閃いたこと。
脳の電気信号により発生した意識の所在は物理的特定は出来ませんよね。
超ひも理論によれば、自然界の「4つの力」の内、重力だけが極端に弱いのは、次元に拘束されず11次元に拡散するからとされます。
ということで、意識も重力と同様に、次元に拘束さず他次元に拡散しているとしたら?面白いことではないか?という閃きですw
物事を平面的に捉えたり、立体的に捉えたり、時間を含め全体像を捉えたりという例えは、文字通り多次元への拡散分布量に依存しているのではないか!とかw
人には見えないモノが見える人は、5次元以上の所への拡散が多いのでは!とかw
視覚的に次元を認識できるのは3次元までなので、4次元以上は、時間と同じように事象の方向性(形而上)みたいなものではないかと、自分はおもいます。
ということは!
いずれは5次元以上の意識的なモノ(形而上的方向)も物理としての計算が可能になれば!アカシックレコードとは、その計算式の事をいうのでは!?
以前から、直感的にすこし
引っかかってることがあります。
科学には何か重要なピースが欠けているので、前提とするスタートが違うのではないか?ということです。
例えば、スピリチュアルなことやw霊的なもの、東洋てきなものや、意識等、そういうオカルトというブラックボックスに身検証で放り込まれているものです。
現在確認できていない、宇宙の90%の質量や、ダークマター、ダークエネルギー、ヒッグス粒子や他素粒子達とブラックボックスはイコールである可能性はないのか。
そもそも、科学、文学。東洋思想、西洋思想等、分けて考えること自体を前提とするのは間違いではないか?
という意味では、超ひも理論やM理論は、それらブラックボックスも物理学的に内包(統合)し始めた。と言える気がします。
まあゴリラも最初に目撃されてから正式に確認されるまでの約100年はUMA(Unidentified Mysterious Animalという呼称は、英語で「謎の未確認動物」を意味するUnidentified Mysterious Animalの頭文字をとったものである。)だったのですから。
100年も経てば5次元以上も物理的に確認されてる事でしょう。
等とオカルティックな空想をしてムフフとなってますw
ただ言い訳として、物理にしても、哲学にしろ、何にしても最先端とは未発見、未確認への挑戦であり境界線の拡張なのですね。
だから、立ち位置を意識できてる限りはアブナイ人ではないはずです!w
こんなことばっかり考えてますw
傍目に見たらアブナイ人
そのものですがw
では!