2009/12/04

音楽について思うこと

気持ちとか 伝えたいこととか
そういうことを音楽で表現する

とは どういうことか

ドレミという 音階が ドミソという和音が
またはそれらの連なりなのか

昭和の初期頃まで葬式は目出たい事だったらしい
死後の世界への目出たい門出で、喪服も白
「この度はおめでとうございます」と挨拶がかわされたらしい。

現在はどうだろうか。
少なくとも目出たくはないと思う。
科学が発達し、便利になった反面
東洋的な部分がなくなりつつあります。

厳然たる数値(数学)の前に心がひれ伏しています。

何が言いたいかというと
科学は便利だけど それだけではいけないよと言う事です。


音楽も科学です 少なくとも今の音楽はということですが。

殆ど耳にする音楽は西洋音楽理論に乗っ取ったものです。
こういうものを信奉して、もしくはそれとも気づかずに
音楽がどうこういうのは愚かだと思う。

短3度が不協、、、
ドミナントやトニック
代理コードや
和声
クリシェ
オルタードやら
エオリアやら
スケール

こんなのはその一部の側面に名前をつけて
傾向を形式化してるだけで
なんにも絶対ではありません。

証拠はいくらでもあります。
商業音楽でないような世界の土着音楽等は
これらの西洋音楽理論で説明のつけられない音楽が
むしろ 商業音楽よりも多く存在します。
「君が代」にユニゾンが多いのはご存知でしょうか。
西洋音楽理論ではコードを付けられないからです。というか現在の音楽理論では
マイナーキー(短調)が完全に形式化できていません。
モード調においては10行程度で説明できるくらいのことしか
説明できていません。
7割が長調、2割が短調、1割がその他といった具合です。


ということで世の中でよく聞く音楽はあらゆる側面を持つ
音楽のほんの一面です(2回目)。

気持ちや伝えたい事を音楽で表現するとは
錯覚ではないだろうか。

たしかに伝わると感じることもあるけど
はたして そこに音楽は必要なのだろうか
その音楽、メロディ、コード、リズムでないと
つたわらなかったのだろうか。
言語の違いがあるのに すべての人に伝わるのだろうか

葬式の話でいいたかったのは
音楽の価値観も昔と今ではずいぶん違っているということです。

昔の曲をさかのぼって聞いてみても
モーツァルト、バッハ辺りより古くなってくると
楽しいとか、悲しいとか、そういう感情的な
ものへのリンクができない音楽になっていきます。

逆も然りで 現在の感情を表現した音楽の
賞味期限はいつまでなのか?と疑問に思ったります。

歌うこと、演奏すること自体は楽しいし
音楽という字のとおりですね(MUSICはどうなんだろうか)
そこにアーティスティックなものがあると思います。

感情を表現するからアートではありません。
アートってなんだろうかという話になりそうなのでやめます。

音は消えていくもの
消えては出て また消えるの繰り返し

だから新しい音を求めるのは必然ではないでしょうか
としめくくる!!

まとまりがない!!


真の音楽家でありたいとおもいます
(無理だけどw)