たぶん・・・
2009/07/20
使用機材①?
今回はヘッドフォンです。といっても
続けるかどうかわからない使用機材の紹介第一回目ですが・・
そして少ない機材から選ばれた第一回目の紹介は!
●SONY MDR-CD900(信濃町スタジオカスタム)!!
ほとんど入手できない状態のものをなぜか入手して5年ほど使用しています。
1987年頃発売したMDR-CD900を信濃町スタジオ用にチューニングしたもので、
評判が良いことからMDR-CD900STとして復刻?再発売されたらしい。
だから見た目はSTとまったく同じですが、表記はSTがないMDR-CD900です。
MDR-CD900でもなくMDR-CD900STでもない微妙なポジションのものです。
音はとってもフラットでMIXには最適ですね。仕事で使用しているSTよりは
少し柔らかいと思う。付け心地も強くも弱くもない締め付け
(緩んでるとも言う)なので、長時間付けても頭痛はおきませんw
こわれたら嫌ぁ~な一品です・・・
修理したら音かわりそうで怖い・・・
では
2009/07/09
2009/07/05
マジメモードで
音楽を聴いて泣いたという話をした(聞いた)。
よくよく聞いてみると大抵が
音楽をきっかけに思い出す過去等で
ノスタルジー&メランコリックな気分で
泣いているという内容だった。
当人はそれを音楽で泣いたと言ってて
音楽に付随する記憶や思い出で泣いていると
いう自覚がないようです。
人は極度に痛かったり笑いすぎたりすると
勝手に涙が出ます。そこにはノスタルジーや
メランコリックはないです。体の条件反射的なことです。
以前、対バンのデスメタルバンドのリハを
スピーカーの目の前に座ってずっと聞いてて
泣きました。だって音が刺激的過ぎ&でか過ぎ&
長時間聞きすぎだったから・・
自然と涙が出ました。
ライブがいいってそういうことだと思います
やはり、生の存在感というか音そのものというか
(まあ演出等もありますが)
そういうことだと思います。
だから音質がかなり落ちるCD等で聞く音楽は
どんなに良いものでも、その段階で音楽の
半分も失っているといえます。
音楽でノスタルジー&メランコリックになることは
音楽好きとは思えません。
まだダンスミュージックで踊るほうが音楽好きなきがするけど
それも違う気がします。
完全に商用に走って音楽(もどき?)をやる方が
まだまだ健全です。
極力音楽に付随するものを排除して音のみを聞くことで
涙するのが本当の音楽好きな気がします。
あとは自分が参加すること。
無我で演奏したり歌ったりすること
で音に近づけます。歌詞に感情こめてとか
メランコリックに通じるのでウソです。
それは音楽好きではなく文学好きです。
(文学は文学で好きですが)
音楽(皿)と文学(料理)の歌モノは
なにか音楽が引き立て約のようで好きじゃない。
歌は声(音)です。楽器と同じで生まれながらの
音しか出ない声が全てで、歌詞は意味は必要なくて
響きですね。歌詞、言葉は呪です真意に反して
誘導させられます。言葉は意味を考えずに
あ い う っていう響きの連なりで聞きます
よい連なりがいっぱいあります。
決して言葉の意味をかんがえてはいけません。w
だから意味のわからない言語は完全に響きで聞けるので
音楽を聴くには良いです。
そういえばアディエマスっていうグループがそういう意味で
どこの言語でもないテキトーな言葉でうたってました。
彼女達(彼等?)は音楽が好きだと思います。
突き詰めていくと人間性の排除につながっていくんですが、
それもどうかと思うので そこに至る途中に音楽の
心理?的なものがある気がするんですが、わかりません。
禅あたりに答えがありそう・・・
過程が重要なのだと思う。
多分、そんな重いものでもなくて商用音楽で
楽しくても良いというような気もするし
結局音楽で人は生きていくことはできないので
取るに足らないものでしかないのかもしれないんで
要は単に嗜好のような気もしてきた。(書きながら)
というリフレインモードでいつも考えるのが止まります。
↑いつにもましてマジメモードw
よくよく聞いてみると大抵が
音楽をきっかけに思い出す過去等で
ノスタルジー&メランコリックな気分で
泣いているという内容だった。
当人はそれを音楽で泣いたと言ってて
音楽に付随する記憶や思い出で泣いていると
いう自覚がないようです。
人は極度に痛かったり笑いすぎたりすると
勝手に涙が出ます。そこにはノスタルジーや
メランコリックはないです。体の条件反射的なことです。
以前、対バンのデスメタルバンドのリハを
スピーカーの目の前に座ってずっと聞いてて
泣きました。だって音が刺激的過ぎ&でか過ぎ&
長時間聞きすぎだったから・・
自然と涙が出ました。
ライブがいいってそういうことだと思います
やはり、生の存在感というか音そのものというか
(まあ演出等もありますが)
そういうことだと思います。
だから音質がかなり落ちるCD等で聞く音楽は
どんなに良いものでも、その段階で音楽の
半分も失っているといえます。
音楽でノスタルジー&メランコリックになることは
音楽好きとは思えません。
まだダンスミュージックで踊るほうが音楽好きなきがするけど
それも違う気がします。
完全に商用に走って音楽(もどき?)をやる方が
まだまだ健全です。
極力音楽に付随するものを排除して音のみを聞くことで
涙するのが本当の音楽好きな気がします。
あとは自分が参加すること。
無我で演奏したり歌ったりすること
で音に近づけます。歌詞に感情こめてとか
メランコリックに通じるのでウソです。
それは音楽好きではなく文学好きです。
(文学は文学で好きですが)
音楽(皿)と文学(料理)の歌モノは
なにか音楽が引き立て約のようで好きじゃない。
歌は声(音)です。楽器と同じで生まれながらの
音しか出ない声が全てで、歌詞は意味は必要なくて
響きですね。歌詞、言葉は呪です真意に反して
誘導させられます。言葉は意味を考えずに
あ い う っていう響きの連なりで聞きます
よい連なりがいっぱいあります。
決して言葉の意味をかんがえてはいけません。w
だから意味のわからない言語は完全に響きで聞けるので
音楽を聴くには良いです。
そういえばアディエマスっていうグループがそういう意味で
どこの言語でもないテキトーな言葉でうたってました。
彼女達(彼等?)は音楽が好きだと思います。
突き詰めていくと人間性の排除につながっていくんですが、
それもどうかと思うので そこに至る途中に音楽の
心理?的なものがある気がするんですが、わかりません。
禅あたりに答えがありそう・・・
過程が重要なのだと思う。
多分、そんな重いものでもなくて商用音楽で
楽しくても良いというような気もするし
結局音楽で人は生きていくことはできないので
取るに足らないものでしかないのかもしれないんで
要は単に嗜好のような気もしてきた。(書きながら)
というリフレインモードでいつも考えるのが止まります。
↑いつにもましてマジメモードw
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